対話型授業とは何か? ①

 「対話型授業とは何か?」と問われたら、「それは愛である」と答えることになるでしょう。ただし、ここで言う「愛」とは、いわゆる愛情のことではありません。単なる愛着のことでも、親密な人たちとの間にある情愛のことでもないのです。対話型授業における「愛」とは、一つの姿勢、とある心構えのことを言うのです。

 『愛するということ』のなかで社会心理学者のエーッリヒ・フロムは、「愛とは、本質的に人間的な特質が具体化されたものとしての愛する人を、根本において肯定することである」①と言っています。対話の相手を「根本において肯定すること」、この心構えがないところに本当の対話は成立しません。相手を否定すること、相手の意見を否定しようとすることは対話の本分ではありません。相手を言い負かして、自分の意見に従わせようとするのは対話ではないのです。対話は相手を否定せず、その「根本において肯定する」、だから「それは愛である」ということになります。

 対話型授業は、生徒を否定することがありません。生徒の知見が間違っているとして、正しい知識を教えることが目的ではないからです。知識を得て、そのことからどういうことが考えられるかということについて話し合うのが対話型授業です。対話型授業では、考えながら、話し合いながら、知識を深めていきます。対話に終わりがないように、知識もどんどん深まって、一つの正解にとどまらないさまざまな可能性に出合うことになるでしょう。

《註》

 ① エーリッヒ・フロム著、鈴木晶訳、『愛するということ』、紀伊国屋書店、1991年3月。